節約という言葉を聞いて思い出すのは、いつも決まった風景だ。
終わりかけの夏の夕暮れ時、模型店から出たときに正面に見える、道路を挟んで向こう側のセブンイレブン。
まるで写真を切り取ったかのように鮮明な風景、そして温度や匂いまで感じる空気感。
なぜこの風景を思い出すのか。
それは、
「これを買いたい。でも、うちはお金がないから節約しなきゃいけない。だから我慢しなきゃいけない。」
というお金のない辛さと悔しさを、子供ながらにその模型店で経験したからだと思う。
子供の時のお金のない辛さなど、「ほしいものが買えない」というくらいのもので、大人からしたら「大したこと」ではないのかもしれない。
しかし子供だったわたしにとっては、記憶に鮮明に刻みこまれるほど「大したこと」だったのである。
わたしは裕福ではない家庭に育ったから、お金が限りあるものだということ、ないと苦しいことは知っている。
大学卒業後は独り暮らしだったけれど、国家公務員として働いていたのでお金に不自由することはなくなっていた。だから、その心地よさも知っている。
父親になってからは、両親から受けてきた愛情が深く幸せだったということ。そして愛情の深さがお金の豊かさとはあまり関係のないことも、最近ようやくわかってきた。
この記事では、ここまで書いてきたことをもう少し詳しく紹介したい。
お金とか節約と聞くと肩が重くなってしまうという人も、記事を読み終えたころにはそんなこと、大したことじゃないと少しは気持ちが軽くなるはずだから。
お金がないことは不自由で、辛く、悔しいこと
節約と聞いてわたしが思い出す風景について。
それは、わたしが小学生のときによく通っていた模型店の道路を挟んだ向かいにあるセブンイレブン。
日が暮れる頃、空はオレンジがかって、空気は終わりかけの夏の蒸し暑さと涼しさの混ざったような感じ。
夏休みがもうすぐ終わる寂しさのようなイメージもある。
わたしは小学生の頃、ミニ四駆にハマっていてその模型店に通ったものだった。
でも小学生の頃もらっていた小遣いは、月500円。
小遣いを多くもらえる友人や、ほしいときにほしいだけお金をもらうという友人をいつもうらやましく思っていたし、モータだけで300円もするミニ四駆のパーツを買えないのが悔しかった。
きっと、夕暮れ時のセブンイレブンは、模型店で悔しい思いをして出てきたときに一番最初に目にする風景だったのだろう。
懐かしくて居心地がいい記憶というよりも、しょっぱさの方が断然強い。
だから、この風景はあまり好きではない。
子供の頃に、裕福な家庭をうらやましく思ったことは他にもある。
家族でたまに行く外食…わたしは、親に遠慮してセットメニューやデザートを注文することはなかった。注文するのはいつも、単品のメインメニューだけにしていたのである。
小学生にもなれば、家が裕福ではないのをなんとなく感じていたし、高いセットメニューやデザートを食べたいと言うと、なんとなく空気が重くなるような感じがしていやだったからだ。
また、わたしは3人兄弟の一番上だったので、率先して贅沢してはいけないという遠慮もあったのだと思う。
子供は、大人が思っているよりもずっと敏感で繊細なもの。
外食に限らず、日常生活の中でも悔しい思いはたくさんしてきた。
- 他の友人よりも、小遣いが少ないこと
- 買い物で、親が少しでも節約しようとしていること
- 家に置いてあるお菓子が、質素なものだったこと
- 冷蔵庫の中のジュースをほしいだけ飲めなかったこと
- 食事で、ドレッシングを必要以上にかけて怒られたこと
- 風呂で水の節約のために、シャワーを使ってはいけなかったこと
- 買ってもらえる外履きの靴は「真っ白な靴」だけだったこと
- 母が、レシートだらけの家計簿に頭を抱えていたこと
など。
子供のわたしが「お金がないことは不自由で、辛く、悔しいこと」だというのを感じ取り、理解するには十分過ぎる環境だったのである。
お金から自由になると、”自由”になる
大学卒業後、国家公務員として働きながら独り暮らしを始めたわたしは、お金のない不自由からは解放された。
家計簿などつけずやりたいことをやり、食べたいものを食べ、買いたいものを買っていた。
とにかくお金のことを考えたくなかったし、考えることを避けていたのである。
小さい頃の「お金がない」体験が、お金がないことへの恐怖心につながってしまったからだ。
お金から自由になると、いつも明るく楽しくなれる気がした。
平日は、仕事で新しいことを覚えたり人間関係を作ったりが楽しく、職場の先輩や同僚にも恵まれた。
休日は、読みたい本をたくさん読んだし、ランニングも欠かさずやっていた。
親元を離れてから、どれだけ親がありがたい存在かということは、もちろん身をもって知っていた。でも、それでも親は「お金のない不自由さ」という暗く、窮屈なイメージとともにあったのである。
独り暮らしをするようになってよくわかったのは、 「お金から自由になると、”自由”になるということ」だった。
- 外食では好きなものを好きなだけ注文できる。
- 連休があれば、好きなところへ旅行に行ける。
- 安くてボロの家だったけれど、自分の好きな部屋を作れる。
- 好きな服、靴、時計を買える。
- 趣味は、安くても奥が深ければいい。
独り暮らしは”自由”だと、よく聞いてはいたけれどわたしの場合それは、人間関係や時間というよりもお金から自由になるという意味が大きかったようだ。
お金は節約しても、愛情はありったけ
結婚して子供が生まれ、また、転職して収入が下がったことから、わたしのお金との付き合い方は大きく変わった。
独り暮らしの時期や、新婚当初のような無計画で奔放なお金の使い方ができなくなったのである。
転職をきっかけに家計を見直した。
税金、保険料などの固定費はもちろん、家、自動車などの大型の支出を見直したり、貯金、投資などの資産の運用方針も決めた。
こうして、できる範囲だけでも将来のことまではっきりさせておくと、「今何をすべきか」が見えてくるということにこの時初めて気づき、驚いた。
いつの時点で資産がどのくらいないとまずいから、いつまでにいくら増やす。
いつまでにいくら増やすために、月々の支出はこのくらい。
この年は赤字でもいいけど、それ以降は黒字にしていかないとまずい。
など、具体的に「今」が見えてきたのである。
そしてログをとり計画通りにいっているかどうか、考え直す必要はあるかを明らかにするために家計簿をつけ始めたのである。
この瞬間、ハッとした。
あれだけお金や節約の暗いイメージがあったわたしの親と、全く同じことをしている自分に気づいたからだ。
レシートをチェックしながら、家計簿とにらめっこするわたしと妻。
もちろん夜、子供たちが寝た後の居間だけれど、わたしの親もそうだった。記憶の中では電気の光が妙に白くまぶしかったから、子供の頃、何かで起きだしたときに目にした光景だったのだろう。
わたしが家計簿をつけ始めたのは、将来の不安に光を当てたかったからだ。
家族みんなが、「いいもの」を手にするために。
子供たちに満足いく教育を受けさせてあげたいけれど、そのためにいくら必要なのか。
家族の楽しい思い出を作るために、旅行もたくさんしたいけど他の生活費を圧迫しないのか。
おいしいものを食べさせてあげたいけれど、食費はどのくらいで抑えなければならないのか。
不安と愛情、そして、お金はいつも一緒にあったのである。
(なんだ、おれも親からたくさんの愛情を受けてきたんじゃないか)
こうして記事を書いている今も、妻が寝る前の子供たちに絵本を読み聞かせている。
脚だけ布団に入れ、体の前に妻が広げた絵本をのぞき込むように、4歳の息子と2歳の娘が妻を挟み込んでいる。
冬だけれど、温かく優しい空気にうっとりしてしまう。
ふと、自分の子供の頃を思い出す。
読んでもらった絵本で記憶にあるのは、ジャングル・ブックとロビンフッド。あらすじはうろ覚えだけれど、読んでもらった時の空気はしっかりと覚えている。
他には、父によくマッサージをさせられたこと。
背中を踏むマッサージ。
体が大きく、分厚い父。無言の力強さを感じたものだった。勝てる気がしなかった。
そこにあったのは、親と同じ空気を感じる安心感や、無条件で自分のことを一番大切にしてくれるという自己肯定感。
これを感じさせてもらえることこそ、愛情なのではないだろうか。
(やっぱりおれは、たくさんの愛情を受けてきたんじゃないか)
裕福ではなく、小さい頃からほしいものが買えない不自由さや悔しさを味わってきた記憶。
裕福ではなかったけれど、実は愛情をたくさん注いでもらっていた記憶。
このように記憶をたどりつつ、妻と子供たちの温かい空気を感じながら記事を書いていて思うのはひとつ。
「お金は節約しても、愛情はありったけ」でありたいということだ。
わたしは32歳になる。
もう十分いい大人だし、2人の子の父親だ。
わたしは、自分の父と母がわたしに注いでくれただけの愛情を子供たちに施せているだろうか。
一緒の空気を感じる安心感と、大切にしてもらえる自己肯定感を育ててあげられているだろうか。
32歳にもなるけれど、自分のことでいっぱいいっぱいのわたしは、父親としてはまだまだ未熟者だ。
でも、両親が「お金は節約しても、愛情はありったけ」注いでくれていたことを確信できた今、少しだけかもしれないけれど、彼らに近づけたような気がする。
これからは、模型店の道路を挟んで向こう側のセブンイレブンも少しは好きになれそうだ。